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The Gucci Post [ぐっちー編集長の金融・経済を中心としたオピニオンブログ News Paper]

2019/02/10 20:37  | コラム |  コメント(4)

明治維新の疑問⑱

この時・・老中阿部の脳中に・天正6年・1578年6月に信長公が建造させた鉄装甲船が・思い浮かんだかも知れない。大砲も装備していた。

米国海軍の虎の子ペリー艦隊は・・サラトガとプリマスは帆船だったし・旗艦サスケハナとミシシッピーは蒸気船だったが・「外輪船」だった。何れも黒い塗料・防腐剤を塗った木造船だった。世界の新鋭船からは一歩も二歩も遅れていたが・・日本人には分かるまいとペリーは高をくくっていたし・それで十分に通用した。江戸市民は眠れなくなった。勿論将軍も幕閣も。

鎖国以来付き合いがあるオランダ海軍は・・啓蒙してくれた。商売になると踏んだからだ。オランダは抜け目なく・・幕府に木造外輪船・観光丸を贈呈した。大砲は装備されていなかったが・・ペリー艦隊と同等の汽船だった。オランダは国際競争に遅れつつあったが・・英国を筆頭に海軍の順位は5位にあり・・8位の米国を凌駕していた。

ファビウス中佐の意見書を読んだ長崎奉行水野は・・観光丸を受領すると・先の発注品をキャンセルして・スクリュー式軍艦2隻・咸臨丸と朝陽を・改めてオランダに発注した。

水野は・・ペリー艦隊旗艦サスケハナ・2450トン・砲9門が・木造外輪船である事を意識して・・
船体は小さくとも最新鋭スクリュー式の軍艦2隻・共に350トン砲12門を・購入価格共に各10万ドルで発注した。中佐のサジェスションで・・機動性と火力に重点を置いた注文だった・・と思う。正に幕閣はペリーとの海戦を頭中に置いていたと思える。

ペリー艦隊は・・日本に来るのに・大西洋・インド洋・東シナ海経由で来たのは・物見遊山でも敵情視察でもなく・単に外輪木造船の非力さにあった。太平洋を渡れなかったのだ。
幕府が日本人艦長・乗務員・オールジャパンで・・太平洋を一気に咸臨丸で渡航させたのは・・そういう二流のぺりー艦隊に対する対抗心が・・如実に表したのです。

それを勝海舟はドジった。天性の船酔いに弱いと知りながら・・他に適任者がいると知っていながら・・売込みが巧い勝が・艦長に鎮座してしまった。大出世の糸口が転がっていると承知していたからだ。
艦長として乗船し・艦長室に自閉して出てこなくなった。結局・・船の指揮を米海軍大尉に任せる羽目になった。
これはとんでもない大失態で・・米海軍の鼻を明かす予定が・・操船を米軍人に任せてしまった。
オールジャパンが崩れてしまった。幕府と幕府海軍の名を汚し・・密やかなる幕府の復讐は喪失してしまった。

この辺りの阿吽を・乗船していた福沢諭吉は・・見ていて腹を据えかねていたのでしょう。
勝海舟は咸臨丸航海に関しては・・無言に近いですがね。あれ程おしゃべり好きな自慢好きな勝海舟が・・この件に関しては石舟になってしまった。
航海の途中・ボートを下ろしてくれ・ボートで一人帰国するとゴネタのは・自分の粗相を自覚していたからでしょう。この一件を観ても・・15代は信用しちゃいけねぇ男を信用してしまった・・。今でも勝海舟は過去の名声で生き永らえている・・・
( ^ω^)

4 comments on “明治維新の疑問⑱
  1. itea より:
    ナニ

    へぇーと思ってwiki見たら犬に噛まれてトラウマとか読んで
    面白かったです。妾がいたくらいなので機能も問題なく精通時はさぞかし
    感動したことでしょう笑

    しかし船酔いが指揮する海軍って言うのが後の歴史を暗示しているような。
    理系がダメっていうのは現代にも通じる話です。
    EV、自動運転、再生細胞医療とかマスコミや二流アナリストが煽りますが
    いずれも30年くらいかかるのが実情らしい。
    東芝が傾いたのも文系経営者がきっかけだったし理系だけでは充分ではないが
    必要条件だと思う。

    iteaさん
    幕末は面白い・・調べれば調べる程・勝安房守・・奇天烈な男だな。幕末の幕臣はいさぎ良かった。有能だった。それを・・と歯ぎしりしたくなる。随分前に・・勝は幕府を潰すのが天職だと心得ていたような気がする。それは・・何時かな・?!咸臨丸でかな・??それとも・・犬にキンキンを齧られ・・袋が破けた時・破けたのかな・?!

    片方の睾丸は機能停止したとしても・・残る一つが二個分の活躍をするそうだ・・だから勝は子宝に恵まれた・・・( ^ω^)

  2. おののののか より:
    大物二人

    諭吉も開国開明派だから、攘夷派に命を狙われていた。維新政府にも毒舌を吐いていた。あんなろくでもない連中が維新政府をやっている、とか。最後に勝にも毒舌を吐いた。貴重な証言だ。もっといろいろ言ってくれても良かった。朝鮮のことも、本質的な事を言っている。信頼性がある。維新政府からも煙たがられていたのかな。政府に仕えて当然と思われるが。

    勝は艦長として示しがつかなかったが、上陸後は活躍した。人望があった。幕府がチャンスを逃してから、上に上がってきた印象だ。
    諭吉は人望など気にしていなかったのだろう。

    諭吉先生は・・渡米・渡欧後・旗本になっているからね。
    軍艦奉行として咸臨丸に乗り込んだ木村が・・あまりにも立派な人物だったから・・航海中の勝の失態をまじかで見ていると・人間として・侍として尊敬出来なかったのだろうな・・・

    有名な江戸城無血開城も・・西郷から3万2千両の賄賂を受け取ったと言う噂が流れている。そんな噂が流れる程・・隙がある人物だったんだろう。僕は好きになれそうにないな・・・( ^ω^)

  3. おののののか より:
    勝、水戸学

    政治家は諭吉のようには生きられない。国益のためには悪魔とも取引しなければならない。カリスマと人望もなければ続かない。勝はたとえ西郷から賄賂を受け取っても、西郷からも幕臣からも、誰からもおそらくその使い道を非難されないだろう・・・という神話にまで到達していたのでは。脇も甘くなければ人は飛び込まない。大久保のように堅すぎても・・・。岸信介のような妖怪じみたところまでは行っていなかったと思いますが。

    勝は幕府がチャンスを逃したと判断した時から、いかに幕府を安楽死させるかを算段し始めたのだろう。阿部老中も斉彬も、ずっと前から一歩間違えば、潰れる予感はあったのでは。斉彬も井伊大老の安政の大獄で倒幕に腹を決めたのでは。

    だがその前に、確かにその一歩が、ぺルドンさんも言う、水戸斉昭の行いと水戸学だった気がする。なんで副将軍の足元に水戸学が発生したのか。江戸幕府が強大過ぎたからか。もう朝廷などと緊張関係などないのに。江戸幕府は過去の幕府にはないほどの強力な大政を持っていて、信長、秀吉の外交、そして義満の明交易よりよほど強力だろう。勅許で大騒ぎすることはない。ダメなら幕府は自然に滅び、新たな将軍が任命されるまでのこと。大政奉還などという概念がおかしい。安楽死させるにはいまだに強すぎたのでこういうステップが必要ということだ。仕方がないのでその後、勝の幕臣に対するクーデターと慶喜の水戸学で一気に臨終させた。不思議なことに二人とも家臣に殺されなかった。

    勅許を気にした阿部老中も270年もの幕府の屋台骨が腐っていて、世界情勢に乗り遅れ、薄氷を踏む思いで自信がなかったんだろうな。皮肉にも最後は水戸将軍の恭順で日本は助かったわけだが。天皇制という空洞。日本はこの中で生きているんだな。

    斉昭は井伊大老に永蟄居を命じられ・・心筋症で死亡と伝えられている。腹上死だったかも知れないが・憤死だな。次々と家老や家来を打ち首にされ・・・
    その斉昭の水戸学・尊王攘夷を過激に引き継いだのが・長州だった・・・( ^ω^)

  4. おののののか より:
    引き継ぎ

    その出自に非常に疑問のある水戸学を、関ヶ原で四分の一に減俸された毛利が、恨み骨髄で引き継いだという感じだな。やはり西軍の総大将毛利は、上杉と違ってつぶし、吉川に与えるべきだったか。笑

    引き継いだといっても、強者御上の余裕の尊皇と、270年の恨みの尊皇攘夷など本来比べ物にならない。御所を平気で砲撃できるような尊皇など、ご都合だな。だから天皇すり替え田布施説などが出てくる。

    だが水戸の尊皇はあろうことかテロリスト化してしまった。本来余裕の尊皇ではなかったのか。これが積年の恨みを持つ外様の本物のテロリスト長州に引き継がれてしまったのは、徳川の身から出た錆だな。ぺルドンさんの言うように、やはりここでもう幕府の体をなしていない。

    時代の変わり目には必ずこういう勢力が出てくるということか。身内からも。

    内部分裂が手痛いな・・・
    ( ^ω^)

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