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The Gucci Post [ぐっちー編集長の金融・経済を中心としたオピニオンブログ News Paper]

2017/11/13 15:38  | コラム |  コメント(1)

瓢鯰図

如拙という面白い画僧が室町時代に棲んでいた。禅画・・室町水墨画の創設者とも・・評価されている。とにかく奇天烈な男で・・明帰りの人を食った留学憎だが・・とびっきりの画才があった。
雪舟が師と仰いだ程だから・・奇人の画人だった。

この画僧に目を付けたのが・・将軍義持で・・こやつを使って・・五山の高僧共いたぶってやれと茶目っ気を出した。木像を観れば・・やりそうなユーモラスな人相をしている。
三十一人の高僧を呼び集め・・如拙の創作画をいきなり見せた。そしてすぐ賛詩を書けと迫った。
こんな事ぐらいで往生していては五山の高僧は勤まらぬと・・即座に三十一人は筆を走らせた・・とも・・難儀したとも伝わっている。

将軍が公案を出すのも異例なら・・如拙の画も異例だった。

僕がこの画を見たのは・・十代の終わりの頃で・・生意気盛りだったが・・
睨めっこしているうちに降参した。絵解きはかなわなかった。ただ非常に愉快な絵だとは感じとれて・・終日陽気な気分に浸れた。

あれから随分時が流れ・・あるブログでひょんな弾みで・・解説する羽目になってしまった。相手はポスドクと名乗るどこかの教授で・・後一人は名をまともに名乗らぬ評判の才媛だった。
教授はこの絵を幾何学的に解析しようとした。数学が得意だったのだろう。
才媛は才媛らしく絵の内容から迫ったが・・二人とも落第点だった。

というものの・・自分で解けるのかと自問した。十代とは違う・・放浪して東西の美術品を鑑賞してきた身だ。あの頃とは経験が違う・・経験知が違うと・・
自負心だけは厚かましい程あった。
あったがひと目で解けたとはいかない。
将軍に突きつけられたように・・高僧並みに右往左往してしまった。

とはいえ・・解けないほど難解ではないと感じた。

公案は・・川に泳ぐ大鯰を瓢箪で捕らえられるか・?

表向きは・・この貧しい格好の男と大鯰は似ている。
とすると・・自分を瓢箪で捕らえられるか・・・これが問になる。
となると・・瓢箪とは何か・・になる。
瓢箪は古神道では・・女性の胎を表すそうだ。高僧だったら・・それは心得ている。この絵がある寺は・・退蔵院とある。言葉と意味がある。川に流された子を供養する寺でもある。
簡単に言えば・・瓢箪は子宮になる。
となると・・大鯰は何か・?
聞くまでもない。我々男性が股間にぶら下げている・・末成り瓢箪のような物になる。

男が立っている岸の縁は滑らかで・・艶かしい・・只の岸ではない。
そして尾っぽをひねって泳ぐ・・大鯰の上流には・・何とも艶かしい・・陰毛の様な・・細くて悩ましい葦の茂みが二手に別れ・・大鯰を誘い込んでいる・・
とすれば・・
この風流な絵画は・・何を意味しているか・・一目瞭然になる。

この男の風貌は・・将軍義持の似せ絵に似た絵が一枚ある。父親の義満だとの説もあるが・・目が似ていない。それに父親をからかうにしては・・時が流れすぎている。
将軍を粗末な服を着た男に置き換える・・如拙の魂胆もまた大鯰のようにでかい。

三十一名の高僧の三十一の賛詩が・・掛け軸の上部に並び・・華を添えている。この賛も絵解きをする大切な手がかりになる。
これら漢詩を読み解けないので・・花園大学研究所の賛の解釈を読む。

大方の高僧の方は・・うすうす察しているらしく・・当たらず触らず・・体をかわしている。
が・・
二十五番の賛は・・鯰は粘液を出すとある・・
一番の高僧は・・瓢箪に油を塗れ・・
二十二番の高僧は・・鯰に触ると佛性が消えるぞ・・と脅かす・・佛性が消えて我々が誕生したと言うのに・・

ババラクサイを書いていて思い出した・・
ババラクサイはパキスタンの禅僧かも知れない・・・(笑

One comment on “瓢鯰図
  1. おののののか より:
    茶目っ気な公案

    内観的な東洋思想は好きではなく、禅などもあまり共感できず、禅問答より一神教とかプラトン哲学の方がいい。十牛図などもよく解らないが、この公案だったらクイズのようで面白そうだ。笑 そんなに奥が深そうではない。

    ぺルドンさんの解説は通説なのかな。とすると皆はっきり言わないわけだ。枕絵を所望したのはそういう事か。連想されるといえば確かに似ている描き方だが。笑 もっと重要な関連性があるのだろうか。これはぺルドンさんの秘だな。

    瓢箪がまるで鯰のパワーで浮いていて、両者を男が上から抑えているように見える。いや男女陰陽の反発力かもしれない。それがこれから結合しようとしている。葦の茂みのなかに鯰が入っていき、どうなるのだろう。瓢箪も一緒に移動していくのだろうか。茂みに入れば瓢箪は落ちるのだろうか。・・・将軍が公案しているのだから政治的にも解釈すべきなのかもしれない。・・・でもこういう考え方が嫌なんだよな、東洋は。しかも印度・中国由来で、縄文的=日本固有な考え的ではないのでは。

    僕の解釈は通説ではありません。
    小林秀雄も投げ出しています・・・(笑

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