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The Gucci Post [ぐっちー編集長の金融・経済を中心としたオピニオンブログ News Paper]

2017/10/15 10:00  | コラム |  コメント(7)

カエサルの御用神託①

シビュレの書が・・神力を失い始め・・ローマは腸卜占いで神託を伺うようになった。古代の神託霊場は・・神官達は医師であり・・精神病医であり・・弁護士でもあったそうだ。それに旅行を兼ねた娯楽場でもあった。古代人に無くてはならぬものだった。今日でさえ・・我々日本人は神社仏閣巡りを好んでいる・!!

何事に関しても・・冷徹なキケロは書き残している。

「何を根拠に・・腸卜師は良好な内臓にあっても・・別れている肺が時を中断し・・日を延期すると言うのか・?
何を根拠に・・鳥占師は右の空の鴉と左の空の鴉が・・何かを確証すると言うのか・?
何を根拠に・・占星術師は月に連なった木星や金星は・・子供の誕生の際に吉であり・・土星や火星は凶と看做すのか・?

何故神は・・我々が眠っている時には警告を下されるのに・・
覚めている時には放置されるのか・?」

キケロより知的に一枚上手だったカエサルは・・鳥占いを司る神官として・・ローマの政界にデビュしたが・・キケロと同じ疑いを抱いていた事は間違いなかったが・・口には出さなかった。そのような疑問は・・自分の足元を崩すと分かっていたからだ。

BC44年・ローマ終身独裁官・ガイウス・ユリウス・カエサルは・・元老院に繫がる回廊で暗殺された。その直前にも・・暗殺を告げる予言を・・占い師から受けていたが・・妻にも邸宅を出る際危険を警告されたが・・全く無視した。

カエサルと友好は無かったし・・神託行為に疑問を持っていた知識人が・・カエサルが自分の神託解釈人の言う事を・・聞いてさえいれば・・もっと生きながらえたろうにと語っていた。

それはそうだ。カエサルは終身独裁官ではなく・・皇帝と言う・・より巨大な権力と領土を獲得出来たし・・クレオパトラとの関係もどうなったか不明だ。シーザリオンが・・ローマ帝国とエジプト王国の後継者として擁立された可能性も高い。
だが・・年々多くなっている癲癇の発作が・・カエサルを内部から崩壊させたかも知れない。
そもそも・・
カエサル護衛に当たっていたアント二ゥスが・・プルタウスとの友情に免じて・・謀反・暗殺計画を握りつぶした事が・・カエサル暗殺団を血行させた事は間違いない事実だ。
アントニウスが暗殺計画を知りながら・・カエサルに告げず・・
護衛を増やさず・・当日カエサルを一人にした行為は・・無意識にカエサルの死を願っていたのか知れない。カエサルもアントニウスに何の遺産も残さなかったのは・・アントニウスの評価が低かった事を物語っている・・・
( ^ω^)・・・(笑

                

7 comments on “カエサルの御用神託①
  1. おののののか より:
    神託行為に疑問を持つ

    FRBの神託を読むときは疑問はもたないが、一般的には通常時は疑問を持つし、日々の占いをチラ見する。笑 以前のコラムでイソップが神託を非難していたとあったが、興味ありますね。

    非難して・・合理的批評だが・・崖から突き落とされ殺された( ^ω^)・・・(悲

  2. おののののか より:
    アントニウス

    事件を了解していたから、特に暗殺後の対応が冴えていた。この時だけだったんでしょうねやたら冴えていたのは。以前のコラムでぺルドンさんは、彼は武将としてどこか壊れていたんだろうとコメントしていた。
    ガリア征服では活躍したのかな。カエサルもそれまでは軍功がなかった。それにしては素晴しい征服だった。副官として支えたのだろうが、信用と評価が低かったんでしょうね。

    軍人としては二流だったのでしょう。
    オウガスタウスになら勝てたでしょうが・・カエサルが軍事的才能があるマルクス・ウィプサニウス・アグリッパを抜け目なく付けていた・・・・・( ^ω^)・・・(笑

  3. おののののか より:
    秀吉の備中大返し

    本能寺の変も秀吉・官兵衛は了解していた。だから大返しが冴えすぎていて気持ち悪い。だいたい同じことをやっていた信長もカエサルも反感を買い、同じ運命となった。となるとアントニウスに近いのは誰なんだろう。笑 秀吉か、光秀か。
    家康は信長に最後まで付いて行っただろうが、最後に、信長はどう家康を扱うつもりだったのだろう。

    最近見つけられた光秀の書簡によると・・主君だった将軍の命で・・とあったそうだから・・信長は乱を起こした元将軍を誅殺してえおけば良かった。あれで信長は優しい処があるのです。
    北条も上杉も伊達も片付いていないのに・・背後を守ってくれる家康を除くなんて・・およそ考えられない。大方明智の子孫とする方の世迷言でしょう・・( ^ω^)・・・(笑

  4. おののののか より:
    最後とは

    天下布武をなしえた時ですよ。おそらく家康は柴田・秀吉等家臣と同等の扱いで、東国に所領を与えられていたでしょう。しかし信長は、統一の後はガラっと次の目標に向かって態度を変えると思う。長男を誅されても付いてきた家康の扱いは興味ある。おそらく信長は海外に出たでしょうね。その時どう扱ったか。

    しかしその前に、秀吉も光秀も信長のやり方には、ブルータス以上の違和感を持っていたのでは。毛利と決戦などしたくはなかった秀吉(と官兵衛)は、もし自分だったらの天下もチラつき出し、未必の故意くらいはもっていたのでは。笑 やはり統一は秀吉がやって良かったのでは。信長より甘いやりかたで、家康にチャンスを与えたが、信長だったらそうはいかない。ビシッと天下を狙えない処置をしたか、次の仕事で忙殺させていたのでは。家康も爪を隠し続けていただろうが、爪を出す機会はなかっただろう。カエサルの方が信長よりとても甘く思える。

    共和政の伝統があったからカエサルは殺された。しかしアントニウスだって、カエサルと同じくもう皇帝の時代だと解っていたはずだ。もうワンステップ置くつもりで、カエサルをだしに使ったカエサル亡き後を考えていた。カエサルもこれを想定して、オクタビアヌスにアグリッパを付けていた。まあ暗殺覚悟で遺言を書いていたということか。笑

    信長は天皇になる積りだった。
    海外征服に乗り出す予定だったから・・家康は真っ先に先陣を切らされたでしょう。信長の威光は凄まじいもので・・思考も当時を乗り越えていた。光秀では室町幕府再現程度だった・・・

    カエサルの遺書には・・クレオパトラの名も無かった・・・
    ( ^ω^)・・・(笑

  5. おののののか より:
    天皇にまでなる

    日本ではここまでいくと誰かが必ず信長を討たなければ、となるでしょう。本当は内心、秀吉だって討ちたかったのでは・・。事実そうなった。信長の野望を知っていた秀吉は、分をわきまえず、よせばいいのに明遠征を真似してしまった。信長は頭の構造が違うのだ。やはりボケ始めていたのかな。転封された家康には絶好のチャンスだった。ものすごいスピードで成長していた。やはり秀吉は甘い。

    信長だったら作戦があんなにお粗末ではなく、南蛮人と行動して侵攻し、南海にも行ったのでは。南海方面だったら日本は列強になっていたでしょうね。しかし中国征服はしても続かない。日本は海洋国家が本分。国民性もぐっちーの言う、箱の中で高く跳ねなくなるノミにはならなかったでしょう。経営幹部が特有の暗愚にもならなかった。今の長所の性質は育まれなかったかもしれないが。いいとこ取りは無理か。

    天皇になろうとしたのは足利義光もそう言われていますが、天皇家の血は入れないのでしょうか。当然外戚の藤原・清盛の方式では意味がないから、自分がなるのでしょうが、それで天皇と言われても日本では・・・。禅譲が通用するのかな。新王朝しかないのでは。しかしそれでは天皇とは名乗れないのでは。

    ぺルドンさんも遺書には書かないのでは。笑 しがらみがあるから後で大混乱? 笑

    記録上に残る最も古いケースは・・源定が淳和天皇の猶子になった・・この位の事・・信長は調べていますよ。

    ノミのサーカス・・フランスで人気がありましたよ。高く飛び上がらなくとも・・芸が出来ればサーカス団も造れる・・( ^ω^)・・・(笑

  6. おののののか より:
    天皇になるとは

    海外征服を企んでいたから、対外的権威も必要だったんでしょうね。将軍では名目上天皇に献上と言う事になる。義満も国王に冊封されたが、天皇にはなれない。今でも(は)天皇家は世界でも超越的存在だ。マッカーサーにも影響したのでは。笑

    信長はけっこうちゃんとした平家だから将軍になれなかったから、というレベルではないだろう。家康の源氏というのは怪しいが。

    だから普通ではない信長が普通の天皇の猶子では役不足なのでは。他もやっているから権威が足りない。朝廷内に新しい血統を形成しても時間的にもあまり意味がない。いっそのこと断絶して平将門の新皇以上がいいのでは。後で血を入れるのも一策だが。平家だから血はつながっているとして継体王朝のような策もあるかもしれない。笑 秀吉が北京に天皇をお迎えすると言ったのが気になるが・・・。他の策もあったのかも知れない。

    対外進出的には継承王朝と断絶王朝とではどちらが効果があるか・・。しかしやっていることは実質的にも天皇になろうとすることで、共和政ローマで皇帝になろうとする事に匹敵するから、両者とも暗殺ということになる。義昭・光秀は当然将軍家レベルの思考だから、信長の時代を突き抜けたあまりの畏れ多い意図に、誅殺を決意したのでは。家康だって信長は恐怖の大王で、そう思うはずだ。海外で先陣を切らされるぐらいなら、ブルータスの仲間に・・いやアントニウスの未必の故意を実践したはずだ。笑 実際秀吉はそうしたんだと思う。笑

    信長は安土城に石を祀り・・自分だと思い拝めと言っている。力がない者が天皇にはなれないと考えていたのでしょう。中国進行も・・主だった湾岸都市のみの占領で・・真っ先に貿易・商業を考えていた。
    そこが秀吉と根本的に異なる処・・・
    ( ^ω^)・・・(笑

  7. おののののか より:
    後日談

    元老院は結局内戦がかたずいた後、アウグストスとして皇帝を認めた。しかし継続が血統とは限らないし、元老院の承認だから解りにくい。変な体制だ。そして帝国の黄昏が見えた時、キリスト教会に乗り移った。

    日本では信長が殺され、再度、天皇を戴く幕藩体制に戻った。天皇制は不滅だ。やはりキリスト教にも匹敵するのだろう。だから我々にはキリスト教は馴染まない。同じ審級に属するのだろう。笑

    ローマはすぐに親衛隊が皇帝を決めるようになった・・
    ( ^ω^)・・・(笑

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