ブログ記者によるオンライン新聞 グッチーポスト

The Gucci Post [ぐっちー編集長の金融・経済を中心としたオピニオンブログ News Paper]

2017/10/11 09:29  | コラム |  コメント(1)

神託の終焉①

山岳にある・・デェルフィの神殿跡をぶらつきながら・・霊地を細やかに覗きながら・・僕は浮かんできた疑問に嬲られていた。神託の聖地・権化は・・自分達のアポロ神殿が崩壊する時期を・・予言したのだろうか・・出来たのか・・という自問だ。
それを見事に言い当てていたら・・それはそれで見事なもので・・デェルフィの存在価値を・・高めた事は間違いない。

ローマ人は・・「シビュレの運命の書」を持っていた。石箱に納められ・・ユピテル神殿の基礎部深く・・厳重に保管されていた。
ギリシャ語(!!)で書かれた未来書・予言書で・・元老院の決定により・・選び抜かれた15名だけが・・読むことが許された。ローマの最高機密文書だった。

何故ラテン語で書かれていなかったのか・・多分予言書なる物は・・ギリシャの神官が書いたのだろう。ローマ人ならラテン語で書いた筈だと思われるが・・BC180年以降・・クマエではラテン語が公用語になった。ラテン語なら正確に表現出来るが・・予言書の性質からして・・曖昧にぼかさなければならないツボがあったのだろう。

この予言書を開かれる時は決まっていた。
緊急事態・戦争・飢餓・疫病・天災・両性具有者の誕生と限られていた。この時だけ・・選ばれた15名の祭司は・・神聖な秘密の書・神託書を取り出し・・当てはまる適当な神託を検索した。
古代のノスタルダム予言方式だ。乱用は死刑だった。

ローマは田舎町だったから・・農夫と牧夫が主な村民・市民だったから・・社はあったにせよ・・神託を出せるような由緒ある神殿ではなかった。従って・・予言は主にギリシャの伝統ある神殿に任せぱなしだった。予言は生活の一部であり・・政治の方向性を示したから・・何か起これば・・わざわざ遠方まで出かけるのは・・不便至極だった。自前の予言が必要に迫られていた。

幸いな事にシビュレ(アポロから予言能力を与えられた巫女・女神官)が出現した。普段は普通の女性だが・・時折恍惚に陥り・・譫言・予言を述べた。
ジャンヌ・ダルクもそうだったし・・近世ではファティマの予言・・ベンケーシーの予言もが有名だが男性は珍しい。

シピュレの譫言・予言は・・当たった。多分当たる確率が高かったのだろう。心理的には・・当たらなかった時よりも・・当たった時の方が・・強く記憶に残るものだ。

商売になると考えたのか・・素朴に彼女の予言を信じたのか不明だが・・熱心な神官が彼女の譫言を書き留めた。
一人ではなく・・シビュレは10人出現した。残らず記録された。
運命の書・・巻物が多くなった事は間違いない。

シビュレは・・始まりは小アジアに現れた放浪の予言巫女だった。強烈な予言・・劇的な予言をして歩いた。一カ所に留まらなかったのは・・商売上の秘訣だったのだろう。予言のどれかが当たる度に・・信用度は高まった。
彼女達は・・短期的だけではなく・・長期予想もしたのだから・・人々は不死ではないにしても・・長壽と信じた。詩人
オウィディウスは・・千年の寿命を与えて歌った。

予言の兆しはなく・・彼女達は突然発作的に・・荒れ狂い・・
忘我状態になって・・予言・神託を出した。それ故・・質問に答える形式にはならなかった。各都市には・・それぞれ代表するシビュレが住み着く事になった。

ローマでは・・カンパニア地方クマエのシビュレが有名だった。
彼女が棲みついた洞窟は・・神託霊場になった。クマエ・・ギリシャ風に言えば・・キュメはイタリアにおける・・最古のギリシャ植民地と看做されている。BC8世紀の頃・・エウボイア島のキュメとカルキスからの移住者によって・・建設された。その為・・ローマの詩人はシビュレと・・その洞窟を「エウボイアの」と記している。

ギリシャ人植民者の後に・・一人の女予言者が続いた。クロエのアポロ神殿を頂く岡の下に・・棲みついたらしい。このシビュレは・・憑き物が突然付くだけではなく・・問いにも答えられた。会話が成り立つので非常に便利だった。

クマエのシビュレの初期に・・その全神託が棕櫚の葉に書き記されたらしい。伝説と事実がごったくたになっているが・・伝説によると・・3巻のシビュレの書を・・黄金300ビリベイオイという法外な値段で・・ローマの王ブリスクスに売却した。ビリベイオイという価格は分からないが・・法外な値段とあるから・・当時でさえ・・法外な価格だったのだろう。

この伝説は・・ローマへ・・シビュレの書を移した事に対する弁解や・・正当性を訴える企みがあるにしても・・計り知れぬ価値を鮮明にする・・黄金の宣伝があったのだろう・・・。

( ^ω^)・・・(笑

One comment on “神託の終焉①
  1. おののののか より:
    分社とかはあったのですか

    ギリシャとは出自の文化圏が違うローマは、ギリシャを尊敬し文化レベルを上げていくわけですが、立派な神殿・神託が欲しかったのでしょうね。日本の仏像・寺院の伝来と言う感じかな。ギリシャの神殿側は分社しチェーン展開する意向はあったのでしょうか。笑 イタリア半島にギリシアの植民地がもう来ていたから、シビュレなどで伝わって行ったということか。

    詳しくは不明ですが・・大きな神殿は・・鳥で国際的な連絡網があった様子ですね( ^ω^)・・・(笑

コメントを残す

* が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

いただいたコメントは、チェックしたのち公開されますので、すぐには表示されません。
ご了承のうえ、ご利用ください。