ブログ記者によるオンライン新聞 グッチーポスト

The Gucci Post [ぐっちー編集長の金融・経済を中心としたオピニオンブログ News Paper]

2017/10/08 09:51  | コラム |  コメント(2)

予言・神託

衆院選挙も間近・・北朝の騒乱も収まりそうにない・・
となると・・我々は予言や神託を・・頼りたくなる。卑弥呼はこういう場合・・有意義に働いた。

ストウ派アンティパトロス・・
神々が存在するのに・・人間に未来を予言しないとすれば・・
それは神々が人間を愛していないか・・あるいは神々にも何が
起こるのか分からないのか・・どちらかだろう。

神々にも何が起こるか分からない・・この言葉は心に強く響く。
伝えられるケルトの神託は・・世にも身の毛もよだつ・・恐ろしいものだった。ケルト人が愛した妖精が・・出てくる余地は全く無かった。ディオドロスによると・・

「彼等は・・一人の人間に聖水を注ぎながら・・祭刀で腹の上部の辺りを突き刺す。そして・・その人間が刺殺によって地に倒れる時・・彼等は・・その倒れ方と四股の震え方・・更に血の
流れ方から・・未来を知る」

どれ程多くの人間の犠牲の上で・・神託の教書が生まれたか考えると唖然とする。それ程未来を知りたがったのだ。この神託伝達者が・・奴隷とか捕虜だったと考えがちだが・・ケルトの生贄と同じなら・・この犠牲者は貴族がなれる神官となる。

沼地で発見されている生贄は・・殺害当時のまま自然保存されていて・・多くの事を教えてくれる。
生贄は縛られて絞殺されているが・・それまでに拷問を受けている。拷問が過酷であればある程・・神が喜ばれると考えていたらしい。

ヘロドロスによると・・スキタイ人には多くの占い師がいて・・
ケルトよりも遥かに文明的な神託方法を選択している。彼等は穏健に柳の枝を使った。ケルト人は・・そんな子供の遊びで・・神が深遠な未来を教えてくれる筈がない・・とせせら笑うだろうが。
柳枝を束ねる。それから解き・・地面に枝を並べ乍ら・・呪文を唱える。呪文を唱えながら・・又枝を束ね・・それから再び一本ずつ枝を並べていく。呪文にこつがあるらしい。

アプロディテ・美の女神が教えた神託占いは・・菩提樹の樹皮を使う。神官は「ふたなり」・・おとこおんなで・・樹皮を三つに切り・・これを指に巻き付けたり・・解きながら・・神託を授ける。

スキタイ人の神託方法は穏やかだ・・と思うかも知れないが・・
それ程甘くないのだ。神託を伝える占い人は命がかかっている。
当たれば良いが・・当たらなかった場合は・・この職業を選んだことを後悔する羽目になる。

一例だが・・スキタイ人の三人の王の内・・一人が病気になると・・誰かが「王の竈にかけて」偽誓したか否か調査が行われる。「王の竈にかけて誓う」というのは‥スキタイ人にとっては・・最も重要かつ神聖な行為だった。
三人の占い師が呼び出される。
大抵の場合・・一人を選び・・この占い師が偽誓を犯したから
王が病気になったと告発される。本人は当然否定する。

次に・・二審当たる6人の占い師が呼び出される。6人が前と同じ結論を出せば・・前者の占い師は首を刎ねられる。
もし二審が無罪と判断すれば・・更に12人の神託解釈人が呼び出される。
三審が無罪と判断すれば・・最初の三人は死罪になる。

「牛車に薪を満載し・・足枷を掛けられ・・後ろ手に縛られ・・猿ぐつわをされた占い師達は・・薪の中に押し込められ・・薪に火が放たれる。牛は怯えて走り出す。走れば走る程炎は燃え盛り・・三人の占い師は牛をお供に焼き殺される」

他のケースでも占い師を・・偽予言者として火刑にする事もある。その子供も一緒に燃やされる。但し女子は免れる。このような職業上の危険はあったが・・スキタイでは占い師・神託解釈人が多いと・・ヘロドロスは書いているから・・旨味があったのだろう。

スキタイ人占い師競技は・・ヘロドロス・ギリシャ人には異質な宗教世界だった。ギリシャ人では神託解釈人同士が・・その技術と能力を競い合う発想が無かった。誤った解釈をくだしたからと言って・・神官が罰せられる事はなかった。多数決で三審まである事なぞは理解の枠を超えていた。それは神の世界ではなく・・人間の世界であった。

ギリシャでは・・解釈が間違っていても・・それは神の気が変ったにすぎないと・・解釈されたのだろう。
ヘロドロスはスキタイ人を・・「連中が他の民族より唯一優れているのは・・逃げる事と敵を追う事だ」
と詰っている。

でありますから・・選挙や北朝との騒乱・・毎日予言が氾濫していますが・・ギリシャ人的に捉え・・当たるも八卦当たらぬも八卦と悠然と構えましょうか・?!・・
( ^ω^)・・・(笑

2 comments on “予言・神託
  1. おののののか より:
    神殿からキリスト教へ

    祈願が強ければ生贄が必要になる。祈願すれば神託結果を知りたくなる。神託結果に執着が強ければ生命を賭けることになる。民族ごとにちがうんだろうな。ケルトはより原初的、ギリシャは磨きをかけ神託の完成者ということか。

    そして商売の段階まで来れば、それは世俗化ということか。世俗化すれば神話もとても人間的になるのでは。ギリシャ神話は人間的だ。神々にも何がおこるかわからないが、もう世俗化してしまっているからケルトのような原初的習慣にはもうならない。笑

    ただあまり世俗化してしまうと、プラトン哲学まで誕生するご時世となれば、パウロのような人は閃いて、一神教をもっとシリアスに深めようと思ったのではないか。現実の世界にも、一神教に対応するような史上最大の帝国が存在している。これを利用しない手はない。これを乗っ取ろうと。笑

    ストア派はやはり醒めてますね。醒めているから神託に飽き、神託に引導を渡し、実際帝国が揺らぎだしたのを見て、キリスト教に乗っかってゲルマンに布教したのかな。笑 
    彼らにはキリスト教が一つの哲学に見えたのかもしれない。プラトンを識るパウロがそう創ってあった。笑 そして教会は宗教というより、ローマ帝国復活事業にもなった。笑 宗教的熱意はなかったが事業欲はあった?。いや違うな、欲はない派だった。

    さぁそれはどうかな・?
    異端の宗教から・・国教になるまで随分かかっているし・・
    猛獣に食べられながら頑張ったのだから・・一本芯が通っていた事は確かだな・・( ^ω^)・・・(笑

  2. おののののか より:
    たしかに殉死・狂信するぐらいでないと・・・

    ストア派は上流支配階級が主だと思うので、猛獣に食べられながら頑張ったのは奴隷など被支配層なのでは。キリスト教の方でも上下両用に、布教を使い分けているように思える。普及するためには。よくあるパターンかな。笑 

    一応宗教だからイエスの言葉は下層階級の心に響く。いや違うな、最終宗教的な、革命的なウルトラCの、神の愛の言葉だった。よくできている。しかもプラトン風で上流階級の受けもよい。殉死するには理想的すぎる教えが必要だ。逆に狂信にも成り得るが。イスラムは一般レベルでは地味で習俗に近い気がする。

    しかし皇帝などストア派的上流支配層には、教会は観照的に黄昏の帝国の運命を託す、組織に見えたんでしょうね。パウロの思惑通リだ。そして滅びたローマ帝国は教会の戴冠により何回も名目的には復活した。ストア派の思惑通リだ。笑

    だがゲルマン人がローマ・ギリシャより、深く総合的にキリスト教を耕すとは思ってなかっただろうな。狂信の度合いも高まったが。結局狂信の末、卒業までしてしまったが。笑

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